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2005年12月25日 (日)

寒波の中の帰郷(続)

 長岡駅で待ち合わせの「はくたか」に乗ってみると、中はガラガラ。「maxとき」は、ほぼ指定席が満杯だったが、今度は隣は勿論だが、場合によっては気分次第で席を変えることも出来る。

 ゆっくり本も読めそう。あとは出発を待つばかり。と思っていたら、しばらくして車内放送が。「柿崎と某所との間で電車が架線事故に遭い、電車が動かなくなっています。現在、原因を確認中。詳しいことが分かり次第、放送します。」といったようなことを言っている。

 我輩の後ろに居た中年の女性が騒ぎ出す。仕事だし、今日中に富山へ行かないといけない。あら、予定が立たない。この電車、動くの、動かないの、車内販売の女性にまで聞いている。品物を売りながらも、返答に窮する売り子のおばちゃん。答えられるわけ、ないじゃん。そのうち車掌が回ってきたので、車掌に談判みたいな質問。

 雪の中だし、事故現場へ向かうだけでも時間が掛かるのは明らか。小生は、開き直ってトイレへ。その帰り道、構内に蕎麦屋を見つけた。

 昔、富山と東京の往復というと、乗り換え駅は長岡だった。その頃は、よくその蕎麦屋で蕎麦かうどんを食べたものだった。待ち合わせの時間も一時間だったか二時間だった、とにかくそこそこの時間が合ったので、ぶらぶらしたり、何か食べたり、新潟や東京ではパチンコをしたこともあった。今と比べてのんびりしていたのだ。

 今は合理的と言えばその通りだが、乗り換え時間ぎりぎりでの乗り継ぎなので、慌しい限りだ。ビジネス客がメインだから、旅の情緒など度外視している。ただ、効率を追いかけている。旅をする客も目的地へ早く行きたいという人が多いのかもしれない。その意味でニーズに応えているというに過ぎないとJRは思っているのだろう。時代なのか…。

 海苔とネギの一杯載ったコロッケ蕎麦を食べて、お腹も温まったし、我輩は、いよいよ物語の中に引き込まれてきた村上春樹の『海辺のカフカ』の世界に没入する。時間はたっぷりある。もし、列車内の車中泊となったら、車内で持参してきた上巻を読み終えるかもしれない、なんて。

 一時間近く待たされただろうか、何度目かの車内放送で、バスでの代行輸送をします、というアナウンス。直江津までバスで行き、そこからまた列車「はくたか」に乗り、富山や金沢方面へ向かって走るというのだ。先行している列車が待ち合わせのため待機するらしい。職員の案内で改札口へ向かう。長岡駅の外は雪。車が走るところだけ雪がない。

 我輩は普通の革靴なので雪は困る。足元に気をつけながら、バスに乗る客の列の後尾に並ぶ。バッグにはパソコンや着替えなどが入っているし、片方は東京名産の「ひよこ」が四つも入っていて、とにかく荷物が多く、移動が大変。それだけで体力を消耗する。

 バスでの移動。小生、この数年、バスや電車の移動が好きになっている。まして長岡から直江津まで走るのだ。ちょっとしたバス旅行だ。バスの中は鮨詰め状態で窮屈だし隣は男できついのだが、『海辺の…』を読んだり、既に暮れ始めている外の景色を眺めたりして、気持ちの上ではゆったりと過ごした。気分は銀河鉄道だ。

 長岡着は13:15頃、バスに乗り込んだのは16:20頃、十数分後に動き出したが、長岡ICに入ったのは17:01だった。18:20に直江津駅に着き、18:27頃、待機していた「はくたか16号」に載った。

「はくたか」は18:50頃、出発。その間、田舎の家へ幾度となく電話。直江津からの「はくたか」内では家で食べるための鱒寿司を買ったのだが(売り子が若くて可愛かったので、ついでに好きな「あんころ」というお菓子も買った)、思えば朝食は昼前のカップ麺だけなので、お菓子を少々齧ったとはいえ、お腹が空いていて、とうとう入善を過ぎた辺りで我慢がならず、鱒寿司に手をつけてしまった。

 手につけたはいいが、入善からは富山駅は近い。焦りつつも、おいしいこともあり、せっせとひたすら食べる。やはり、うまい! 

 慌しい中、「はくたか」が富山駅に20:05頃、到着。鱒寿司の容器類を捨て、バッグと手提げ袋を手に、駅の改札口に立つ。荷物が重いので、雪が積もっていることもあり(降ってはいなかったが)、贅沢にもタクシーを使うことに。

 こんな時のためのタクシーだ。他の人が運転しているタクシーに乗るのも勉強になる。いい意味でも悪い意味でも学ぶべき点があるのだ。プロがプロを見る、というわけである。

 自宅には20:20頃に帰宅。家の庭に見慣れた車が。姉の会社の車だ。(続く…かも)

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寒波の中の帰郷

 先週末に切符は入手していた。三泊の往復だと周遊扱いになって安い(それに他にもレンタカー利用料が安いなどの特典もあるけど、説明の文面をよく読んでいない)。座席指定なので、寝坊さえしなければ、慌てることなく出かけられるし、自由席の席を確保するため寒風の中、並んで待つ必要もない。

 でも、心配性なので午前中に季語随筆を書き上げて昼前には出かけた。慌しい中での出発で、バッグに詰め込むものも当日の朝、あれこれ詰め込めるだけ詰め込む。衣類は勿論だが、パソコンを収めるので、結構、嵩張るし重くなる。しかも、本を三冊ほど。

 バスとか待合の間に読む新書を読みかけの分と併せて二冊。単行本は村上春樹の『海辺のカフカ』。上・下巻を持っていこうかと思ったけど、上巻だけにとどめる。残りは帰京してからの楽しみだ。

 東京駅には出発の一時間以上前に着いてしまった。これなら自由席の列に並んで待つ余裕だってある。でも、席は予約されているので、まあ、東京駅の新幹線の改札口で人を待つようなふりをして(?)新書を読みふける。

 読んでいるのは車中で読みかけの小山慶太著の「肖像画の中の科学者」である。個々の科学者に割く文章は短いが、逸話が豊富だし、意外な文献を教えてくれるので、この本の中で知った本をいつか読みたい、などと発展していくかもしれない。

 本のタイトルをメモしておくと、たとえば『元禄御畳奉行の日記』(神坂次郎、中公新書)である。朝日文左衛門という名の尾張徳川家の家臣・役人(侍だが、要するに今風に言うと高級官僚みたいなもの)の赤裸々な私生活が綴られている。

 地方(町)へ行くと地元の人間に接待漬けとなる。酒、女、博打など道楽。当時の世相風俗も縷々。きっと、今の官庁の役人も接待漬けの毎日なのだろう。でも、仮に日記を書いていたとしても、読めるのは今世紀末か来世紀か…。今の時代の本当の現実などあからさまには世に出せないだろうし。

 他に、イギリスにも17世紀に膨大な量の秘密の日記を綴っていた人が居て、(一部は出ていたが)1970年代に全貌が明らかになったのだとか。それを紹介する本が臼田昭著の『ピープス氏の秘められた日記』(岩波新書)である。

 余談はこれくらいにして、さて、時間が来て列車に乗り込んだ。24日ということで、指定席は満杯かと思ったが、自由席も含め、多少は空き席もあった。我輩は三人席の通路側。窓からの景色は眺められないが他の二人は若い二人連れの女性だったので、まあいいか、である。

 バッグも上の棚に仕舞い、駅の構内で買ったお土産の「ひよこ」入りの紙袋を足元に置いて、さて、村上春樹の本を手に。でも、隣の女性たちがカバンから何かを取り出して、簡易テーブルに並べる。

 いかにも女性らしい、カラフルなケーキ(? ご飯?)がそれぞれのテーブルに並ぶ。我輩も負けじと、夕べの食べ残しのお菓子(黒砂糖の麩菓子)を取り出してペットボトルのお茶と共に喫する。食べるものも食べたし(実は朝、日記を書くのに時間が取られ、食事の時間がなくなり、カップ麺で済ませていたのだ)ようやく落ち着いてきたので、今度こそ、『海辺のカフカ』である。

 村上春樹の本はこれまでに二冊は読んだが、実は本格的な小説は始めてである。今まではエッセイ(村上朝日堂)と『神の子供たちはよく…』という本なのだ。本書は評判がすこぶるいいようなので、今年を締めくくる本として敢えて選んだのである。

 ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は、まあ、面白いが仕掛けに頼りすぎていて、まだ読み止しの段階で評は下せないが、準一級の娯楽本といったところか。あれこれキリスト教関連の雑学的知識が盛り込まれていて、それが好奇心を掻き立てるし、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵も、見方によっては謎めいたメッセージを読み取れなくもないが、しかし、ダ・ヴィンチは凄いのは、そうした仕掛けよりも、あるいは仕掛けがあるにも関わらず絵として屹立しているからなのだ。

 さて、読み始めた『海辺の…』だが、さすがだ、段々、物語の中に引きずり込まれていく。主人公(?)の少年は中学生だというのに、非常にませている。知的に卓越しているのだろうし、複雑な家庭環境を生きて、自覚を迫られるということもあったのだろうが、あまりに大人びている気もする。凡庸そのものの自分と比べるのは笑止だとしても、少年の感懐が今の書き手の気持ちの吐露ではないか、という疑念をついつい抱かされてしまう。

 しかし、小学校のうちに漱石全集くらいは読み倒す人間が世の中には居る。実は、この『海辺の…』を読んでいて、村上春樹に例の酒鬼薔薇聖斗を扱った小説を書かせたら、彼なら凄いものを書けるのではと思ったりした。酒鬼薔薇も知的に異常なほどに発達している。感受性も並ではない。あの公表された<詩>にはただならぬもの、鬼気迫るものを覚えたものだった。

 列車は雪の影響で本来の越後湯沢ではなく長岡まで走った。乗り換えも長岡で、とのこと。長岡。上越新幹線が開通するまでは、東京と富山とは長岡での乗換えが常だった。その意味で懐かしさがある。長岡で「maxとき」から「はくたか」に乗り換えた…のだが、ここから本格的なトラブルが始まった。

(以下、続く)

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